ハベルが岸を越えていく あとがき


2026年7月はじめ、沖縄旅を終えて北海道へ帰ってきてからはやく見たい一心で、父のフィルムカメラで撮った久高島の写真をすぐさま現像に出しました。
1週間ほどで仕上がった写真データが届き、一枚ずつゆっくり眺めていると、ふと詩のような言葉たちが泉のように湧いてきました。そこから4日間ほど夢中で手を動かしているうちに、この小さな本が実を結ぶことになりました。

海にかがやく波光それ自体が、ハベルの羽のもつうつくしい模様を、そのまま鏡映しのように象っているとしたら──そのような幻視にいたるまでの過程を、二片の詩とともにはためく蝶のように冊子として綴じることができたら、という発想が、この冊子の基軸となっています。
沖縄旅のあと出会った“中城はんた前節”を、文章のはじめとおわりに訳と併せて一対の羽となるように置いたことも、そのことに連なるものです。


この世を去って25年以上になる父の存在は、生前父が聴いていた音楽や、昔描いていた絵たちをとおして、むしろ不在の時間の中でこそ、自分の中に深く宿っていきました。
この小さな本が生まれて少し経ってから、かつて父が所有していたであろう蝶の標本が実家に飾ってあったことを、ふいに思い出しました。
父が鉛筆と水彩で描いた絵の中には、蝶の羽を想起させるものがあり、父も蝶に惹かれていたのかもしれないと思うと、無性にうれしい気持ちになります。
沖縄旅を経て、自分も蝶をモチーフにした絵を描き始めるようになりました。


本に結んだ麻紐は、パートナーの邑里さんにお願いして結んでもらったものです。
ふたりで一緒に久高島を訪れていなければ、そしてメーギ浜で泳ぎたいと邑里さんが言ってくれなければ、決してこの本が生まれることはなかったと思います。
その意味においては、パートナーもまたこの本の制作に深く携わっていると思います。


それぞれの身のうちに蛹のように留まり、とおく彼岸(現世かあの世かを問わず)へと飛び立つことをどこかで希うハベルの欠片に、この冊子がどこかで呼応し、寄り添うものとなってくれたならさいわいです。

お読みいただき、本当にありがとうございました。

終戦の日に
2026年8月15日 熊谷隼人

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