Something to remember you by
 

Something to remember you by あなたを憶えている誰か

はじめに
 01 | 木々を巡る旅
 02 | 描くことは無類の光
 03 | 捨てられない絵葉書
 04 | 吊るされた家
 05 | やさしい夜のために
 06 | 人は矛盾を愛せない
 07 | 死なないものは生きていない
 08 | 風景
 09 | 存在の祭りのなかへ
 みとさんの紹介文
 おわりに
something to remember you by
02 | 描くことは無類の光

物心ついた頃から、絵を描くことだけはずっと続けてきた。
大学四年生の頃にゼミの先生から絵を酷評されたとき、はじめて大きな挫折感を味わったように思う。

就職してからは仕事が忙しくなり、描くことはあくまで趣味と捉えることにして
自分のためだけに描こう、と割りきって描き続けた。

そして夏に鹿のような一本の木と出会った頃を境に、少しずつ絵に変化があらわれはじめた。


最初は、木や葉っぱ、雲、壁のひび割れなどが別のかたちに見えるところから始まる。
多くの場合、それは生き物のようなかたちをして現れた。

何ということのない、ただの見立て遊び。
だけどそれは定まった枠組みから、あらゆるイメージを解放するための訓練でもあった。
世界とは発見することを与えられた場所なのだということ。

ある一つの穿たれた点が「目」に見えた瞬間、全身がその地点からはじまり、広がってゆく。
未見のイメージと出会うこと。そこにあるのは語り尽くすことのできない豊穣さだと思う。

同じ時期に、沢山の素晴らしいものと出会った。

緻密な描写で、創造性に満ち溢れたインドの民族画、ゴンドアート。
ほとばしる魂のような海鼠釉をはじめとする、鈴木照雄の焼き物。
造形感覚を凄まじく揺さぶられた、谷由起子とレンテン族による刺繍布。
写真、エッセイ共に原初的な感覚を呼び起こさせる、「風の旅人」という雑誌。
世界中の洞窟壁画を旅した過程が記された、石川直樹の写真集「NEW DIMENSION」。
嘆息するほどの刺繍曼荼羅、沖潤子の作品集「PUNK」。
霊性の結晶ともいえる、版画家ヨゼフ・ドミヤンと押田成人神父による木版画集「白い鹿」。

それらの多くが手仕事のもの、無名の人々によるもの、
切実な暮しのなかで生まれたものたちだった。
すべてがあまりに美しかった。
何よりも光だ、と思った。

光のすべてが凝縮されて全身を駆け巡るとき、途轍もないものに包まれる。
自分の器には到底収まらないとめどなく溢れるそれに、ただ身を委ねるほかに仕方がなかった。
眠る前に目を閉じると、夥しいほどのイメージが瞼の裏に浮かび上がった。
なにか巨きなものと繋がっている感覚があった。
それはとても幸せなことだった。

 

絵を描き続けた。
やがて、生きものを象った絵が生まれはじめた。

彼らは、自分が「作った」のではなくて、
何か大きな存在が流れ込んできて、
そのなかで「生まれた」のだと思った。

説明することもできなければ、
そこに物語を添えることも違うような気がした。

 

今年の4月、吉祥寺で個展を行った時には巨大な点描画を描いた。
偶然森で拾った鹿の骨を絵の具として使い、それで画面を埋め尽くした。

描く、ということ。
それは風のように世界をうつろいながら、
至るところにイメージを芽吹かせてゆく、神さまみたいな存在だと思う。
それは時としておそろしくて、かなわなくて、
つかまれて食べられてしまうのではないか、とすら思うことがある。

だけど同時に開かれ、充たされ、赦される何かががあり、泣きたくなる何かがあり、
そこにはこのうえない無類の光があると思う。

光が失われない限り、いつまでも描き続けていきたい。