Something to remember you by
 

Something to remember you by あなたを憶えている誰か

はじめに
 01 | 木々を巡る旅
 02 | 描くことは無類の光
 03 | 捨てられない絵葉書
 04 | 吊るされた家
 05 | やさしい夜のために
 06 | 人は矛盾を愛せない
 07 | 死なないものは生きていない
 08 | 風景
 09 | 存在の祭りのなかへ
 みとさんの紹介文
 おわりに
something to remember you by
03 | 捨てられない絵葉書

はじめて海外旅行に行ったのは、二十歳のときだった。
三月の厳しい寒さのなか、フィンランドをひとりで一週間ほど旅した。

旅の途中、フィスカルスという美しい村で一枚の絵葉書と出会った。
今までに引っ越しを三回経験したけれど、部屋のどこかに
必ずその絵葉書は飾るようにしている。

じっと眺めていると、当時の様々な記憶がやわらかな痛みを伴ってよみがえってくる。
まるであの頃の自分の肖像を見つめるようにして、僕は絵のなかの犬と目を合わせる。

フィンランドへ行ったのは、何がきっかけだったんだろう。

大学の授業で紹介されていて、漠然とした憧れをもった。
遠い北国のことを、新潟で育った冬の感覚をとおしてどこか親しく思った。

大好きな人とうまくいっていなかった。遠い場所でひとりになることを強く求めていたし、
そうすることで何かが戻ってくるのではないかという妙な期待を抱いていた。

オーロラを見たかった。それは十代の頃に幾度となく聴いたスピッツの
「オーロラになれなかった人のために」というアルバムがきっかけだった。

何もかも不完全だった、あの時の未熟な気持ちで
ひとりで飛行機に乗り、日本を離れた。

オーロラを見るために自分がとった方法は、とてもこっけいなものだった。

フィンランドの北極圏の入り口に位置する街、ロバニエミという場所でホテルに着くと
夜になってから大きな橋を歩いて渡り、雪山のような場所を登った。
あの時もスピッツの「オーロラになれなかった人のために」をくりかえし聴いていた。

そこで何時間ものあいだ、暗闇のなかを独りで彷徨い続けた。

現地でレンタルした靴は身体に馴染まず、徐々に足が痛み出す。
氷点下二十度以下の夜に、顔が凍えそうになる。
これはいったい何の修行なんだろう。自分でもどうしてこんなことをしているのか分からない。
だけどどうしてもここでオーロラを見なければいけないと、旅に出る前から強く思っていた。

だから激しく痛む足を引きずってホテルへと戻ったとき、ひどくみじめな思いがした。
諦めきれなくて翌日の夜も同じ場所を歩いたけど、最後には足から出血して、やむをえず真夜中に雪山を下りた。
結局一度もオーロラを見ることが出来ないまま、ロバニエミを後にした。

どうして自分はオーロラを見ることができなかったのだろう。
帰国してからもそのような無意味な問いかけを、何度も心のなかでくりかえしていた。

大好きな人との距離は日ごとに遠くなっていった。毎日のように泣いていた。
どうしようもなく救いを求めていた。

旅からおよそ半年後の真夏の夜、突然一つのお話を思いつく。

一晩で書き上げたその物語には、オーロラを見れなかったことや
そのひとを巡る自分の心情が色濃く反映されていた。

年末になって、しばらく連絡を取り合うのをやめよう、と言われた。
電話を切ったあと、僕は個展をしよう、と思った。

夏に書いた物語は絵本になった。
翌年の三月に、それを展示した。

オーロラを見に行くために雪山へ出かけた、シロクマの男の子は
結局一度もそれを見ることができなかったけれど、
雪山で見た夢のなかで幻のオーロラと出会い、涙を流す。
そして遠い国へ行ってしまった、大好きなシロクマの女の子に宛てて
夢で見たオーロラの絵を描いて送ることを決意する。

大好きな人は個展に来なかった。
だけど展示を見に来てくれた人たちから、たくさんの言葉をいただいた。
絵本を見て泣いてくれた人もいた。
自分にとって、それは救いと呼べる何かだったのかもしれない。

 

だけど何かが失われたような感覚は、いつまでも戻ってこなかった。 

フィンランド旅行の終わりに、ひとりの女の子と出会った。

個展にも来てくれた彼女は年齢が一緒で、
日本へと向かう帰りの飛行機で席が隣になった。
機内食の時間にどちらともなく声をかけたのをきっかけに話し始めると、
それは何時間もとめどなく続いた。
真夜中の暗い空を飛びながら、夢のように曖昧な世界のなかで
お互いについて、ほんとうにたくさんのことを語り合った。

会話の内容は、不思議なことにほとんど記憶に残っていない。
ただひとつ確かに覚えているのは、あの時に「魂の話」をしたことだ。

 

旅をとおして、僕は魂の一部をそこに置いてきたのかもしれない、と思う。

何かを得るためではなく、何かを失うための旅というものがもしあるのだとしたら。
生きていて意味のないことは一つもないのかもしれない。
だけど何かを「失った」としか言い表すことのできない、そのような痛みを伴わない限り
決して届くことのない光のようなものが、この世界には存在するのではないか。
悲しみを悲しみぬくことによってしか、決して救われることのない何かががあるように。

置き去りにされた自らの一部が、いまもロバニエミの雪山のどこかを彷徨っているような気がする。

個展を終えてからしばらくして、大好きな人からふたたび連絡がきた。
そして僕らは「友達」になった。

今でも時々ふたりでお茶をしたり、美術館に行ったりすることがある。
もう二度と昔のような関係に戻ることはない。
それでいい、と思う。

 

いつか僕はもう一度オーロラを見に行きたい。